民主主義とは
wikiから
民主主義(みんしゅしゅぎ)、または民主政 (democracy)とは諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制をいう。
と書き始められていますが、
近現代の民主主義として、
と書かれていますが、
この文章の中にはエリートが不可欠とされているが、
現在の日本の政治腐敗はエリートの存在がないということではない。
このエリート思想こそ腐敗の現況なのではないだろうか。
知識、教養を持つことだけでは不十分なのではないだろうか。、
知識と教養はあくまで道具であるということを忘れている。
この道具を有効に使える人間が上記で言うエリートであるとはいえないのです。
君主制と民主主義について大きなちがいとしての認識についても、ほとんど理解されていないのではないだろうか。
議会制民主主義は多数決である、なんて一言を言っていた政治家がいたが、あいた口がふさがらなかった。
君主制と、民主主義の違いは、民衆の多数決によって選ばれた政権によって行われるものは、すべて民衆が責任を負わなければならないという一点である。
君主制のもとで行われた政治の失敗はすべて他人の責任とすることができる。
このことから、現在自民党の中で繰り広げられるゴタゴタは民主主義というものを壊している象徴であるように思える。
これは、日本だけのことではない。
G8からG20への流れも同じである。
先進国だけで今まで決められてきたルールを新興国などにも押し付けてきたのが現実ある。
それは、民主主義が資本主義によって影響されていたことが明らかになっただけである。
要するに民主主義的資本主義ではなく、資本主義的民主主義というべきではないだろうか。
民主主義というものもひとつの道具であるだけに過ぎない。
しかし、この道具の使い方をきっちりと教育していかない限り、このシステムを使いこなすには至らないのかも知れない。
そこにはエリート思想というもが介入しすぎれば、現在のような同じ失敗を犯すのではないだろうか。
wikiのエリートの存在は不可欠であるというのは、不必要で、
それよりも、責任を負う民衆こそが必要なのではないだろうか。
民主主義の民衆の意思決定は責任を負うこととセットでなければならない。
あえて、エリートを入れるのであれば、責任を負うエリートとすべきではないだろうか。
責任を負わないエリートは不必要である。。。。
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